twilight title

 

キィキィと軋んだ音を立てて、僕の座ったブランコが揺れる。
見上げれば、まるでスクリーンに映ったような、淡いグラデーションの空。
もう東の空は色を濃くしている。
ほのかに明るさを残す水色の空の真ん中には、細く輝く三日月が上がっていた。
ぽっとブランコの脇の街頭に灯りが灯る。
それに気がついて、辺りを見回せば、あちらこちらの家の窓には暖かそうな灯りがつきはじめていた。
公園脇の点滅信号の黄色い光までが、眩しく見える。
「バイバーイ!」
「また明日な」
目の前を、数人の子どもたちが手を振りながら散っていく。
家では、家族が食事を用意して待っている頃だろう。
遠くで誰かを呼ぶ声もする。
そろそろ肌寒くなってきた風が、僕の髪を吹き上げていった。
公園に植えられた木の葉も、かさかさと小さな音を立てる。
──もうこんな季節なんだ。
ブランコにつかまったまま、上体を反らせて空を見上げた。
視界いっぱいに空が広がり、そこに高くのびた木の枝が加わっている。
西から東への、微妙な色の移り変わりが一目で見渡すことができた。
その中で木と木の間に光る三日月はまるで絵のようだと、そう思った。
キィキィとブランコをこぐ。
何ともいえない浮遊する感覚が心地いい。
紺色の増していく空を見上げたまま、ブランコの揺れに身を任せていた。
昔からこの時間は嫌いだ。
──みんな自分のいるべき場所に帰っていく。
──僕を一人だけ残して。
風が運んでくる、どこかの家の夕食の匂い。
それが、いっそう僕の心を揺さぶった。
今では僕にも帰る家があるというのに、どうしてこんな気持ちになるのだろう。
どうして、こんな昔の気持ちを思いだしているのだろう。
おかしいな。
綺麗な空を見ていただけのはずだったのに。
そんな自分に少し呆れて、ゆるくブランコを揺らす。
人気のなくなった公園には、やけに大きくその軋んだ音が響いていた。
「ジョー?ジョーなの?」
不意に呼びかけられた、こんな所で聞くはずのない声に僕は驚いた。
公園の入り口の車止めの前に立つ、華奢なシルエット。
「フランソワーズ…?」
間違いなく彼女だ。問うまでもなく分かっている。
他の物はシルエットにしか見えなくても、彼女の姿だけは、なぜだかいつも明るく見えるんだ。
どこにいたってきっと僕には分かる。
でも、どうしてここに?
「どうしたの?こんなところで……。なんで、ここにいるの?」
「フランソワーズこそ……どうしてここに?通る道じゃないよね?」
彼女がちらりと僕の顔を見た。まるでジョーのイタズラなんて見抜いてるのよ?とでも言いたそうな瞳で。
「やだなぁ。君がここにいるなんてホントに知らなかったんだ」
僕の言葉に彼女は驚いてみせる。そして僕らは顔を見合わせて笑った。
「ホントに偶然なの?…だったら素敵ね。ふふ、ジョーを見つけられてよかった」
フランソワーズは微笑みながら、僕の隣のブランコに座った。
「私はレッスンの帰りに、友達とお茶を飲んできたの。この辺りにね、おいしいケーキ屋さんがあるって連れてきてもらったのよ。それで遅くなっちゃった。……ジョーは?どうしてここに?」
「僕は博士に頼まれた買い物の帰りさ。なんとなく気持ちよくて、ここで空を見てた」
フランソワーズは、空を見上げてゆっくりとブランコをこぐ。
つま先が地面に着いてしまわないように、慎重に。
「本当!空……綺麗ね。星が光ってる。見て、あの細い三日月。とっても繊細なカンジがしない?」
一つ一つ指をさしながら、彼女が声をあげる。
僕も一緒に空を見上げた。
「私ね……この時間って好きよ」
え?
僕は彼女の顔を見つめた。
辺りはもう十分に暗くなっていて、隣の街灯の光がぼんやりと、すぐ近くにいる彼女の横顔を照らしている。
「だんだん家の灯りがともっていって、街が綺麗になっていくの。あの一つ一つの光の中にたくさんの人がいて……なんだか暖かな灯に見えるの」
僕は……そんな風に思ったことはなかった。
いつも僕には関係のない、暖かな光だと……。
「なんだか寂しいような気持ちがしても、この時間なら家に帰れば誰かがいるって思えるでしょう?ずっとお兄ちゃんとふたりきりだったから、誰かが待っていてくれるのってうれしいの。……いつもはお兄ちゃんを待ってる方だったから」
フランソワーズが、遠くを見たまま小さく笑った。
ジャンのことを思い出してるのかもしれない。そしてパリの街を。自分の家を。
「今は博士とイワンがいる。みんながいる。ジョーもいるの……。それで、私におかえりって言ってくれる、それだけでうれしい。ここにいてもいいんだよって言ってもらってるみたいで……そんな風にあなたが待っていてくれるから」
最後の方は少し早口で言って、フランソワーズがキィキィとブランコを揺らした。
そのまま空を見つめていて、僕の方をちらりとも見なかった。
僕も、視線をすっかり暗くなった空に移す。
なんだか嬉しいような恥ずかしいような、なんともいえない気持ちになって。
空を見つめたまま、思い切りブランコをこいだ。
なんだかまともに君の顔を見るのが恥ずかしかったんだ。
「あ!負けないから!」
まるで子供みたいに、君が同じように高く高くブランコを揺らし始める。
僕も君に追いつかれないように、大きくブランコを揺すった。
君は高く笑い声を上げながら、亜麻色の髪をなびかせて。
スカートの裾が風に舞い上がるのも気にしないで笑っている。
僕らのブランコが互い違いになったり、一緒に高く上がったりして、どんどんと大きく振られていた。
ブランコの軌跡が半円を越えるほど高くこぎ上げられたとき、僕は手を離して前に飛び出した。
ふわりと体が浮いて、空の中に飛び込んだような感覚がわき上がる。
そこここに輝いている星が少しだけ近くなったような気がした。
僕をつつむ風はひんやりとして気持ちがいい。
今だけは、なんとなくジェットの気持ちがわかるな…と思った。
濃い色の空と星の次には、あっという間に地面が近づいてきて、僕は両足でしっかりと着地した。
少しだけ風の余韻を感じてから振り返ると、今度はフランソワーズがいたずらっぽく笑っていた。
「ジョー、私も行くわよ」
「フランソワーズ?危ないよ!」
僕がそう言う前に、君の体は飛び出していた。
しなやかな体が、空を舞う。
手足がすんなりと伸びて、こんな時までも踊ってるようだなと、なぜだか見とれてしまった。
それほど優雅に、自然に、君は空を飛んでいる。
空の中に溶け込んでしまいそうなほど、その姿は馴染んでいる。
そんなことを思っているうちに、彼女はとても気持ちよさそうに腕を伸ばして、ふわりと僕のすぐ横に着地した。
決してバランスを崩すことなく、綺麗に立っている。
「危なくなんかなかったでしょう?私だって子供の頃はこうやって遊んでたもの、大丈夫よ。ジョーは心配しすぎ」
街灯の下の君が、無邪気な笑顔を見せてくれた。
「ちょっとだけ、ジェットの気分を味わえたみたい。いつもこんな風に気持ちがいいのかしら。あ……普通だったら鳥の気持ちって言うのよね」
ほんのりと頬が桜色に染まっている。
僕は思わずその体を引き寄せていた。
君は一瞬驚いたように僕を見たけれど、僕は構わずに抱きしめる。
なぜだか、今、そうしたかった。
「僕も今、同じこと考えてた」
耳元で小さく言うと、君がくすっと笑った。
それがとてもかわいい。
僕は少しだけ、君を抱く腕に力を込めた。
「……僕も君が待っていてくれるから……寂しくないんだ」
「ジョー…」
「ホントはずっとあの時間が嫌いだった……けれど、今は好きになれる」
君の亜麻色の髪を見下ろして小さく言った。それが僕の正直な気持ちだった。
その証拠に、さっきまでの気持ちが嘘のように消えている。
これが君の力なんだと、そう思った。
僕は……君に甘えすぎているかな。
君がいつも、僕を救ってくれること。
僕に力をくれること。
ふいに、君の髪が揺れた。
ふわりといい香りがして……君の優しい瞳が、僕の目を見つめていた。
長いまつげに縁取られた瞼が二、三度瞬いて、その瞳を覆うのを見た。
次の瞬間、かすかにふれあったくちびる。
ほんのりと暖かく、柔らかな…。
それから、すぐに君は俯いてしまう。
それと同時に、僕の心臓が跳ね上がった。
この心臓の音が君に聞こえてしまわないかと心配になるほどに。
君が触れていった所から、徐々に暖かさが広がってくるような気がした。
僕は今、こんなにドキドキしている。
君は?
君は僕と、同じ気持ちかな。
同じようにドキドキしてくれてるのなら……
「…私もよ」
まるで僕の心の声が聞こえたかのように、君が小さくつぶやいた。
よくみると、俯いたままの君の耳の先までもが、赤く染まっている。
さらにドキンと、心臓が高鳴った。
「私も今は好きになれるの……。ずっと、一人だった。お兄ちゃんを待ってた。お兄ちゃんと離れてからは一人で。だれもいない、灯りのついていない部屋に帰るのは、とっても寂しかった……でも……」
君がそっと顔を上げる。
きらきらと輝いた青い瞳が、まっすぐに僕を見ていた。
その瞳と桜色に染まった頬が、いつもとちがった君に見せてくれている。
きっと、僕しか知らない君に。
「今は違うわ。私には、待っていてくれる人がいる」
「僕にもね」
君が笑う。
それだけで、僕は幸せだった。
君のその曇りのない笑顔を、僕だけのものにしたい。
無邪気な姿を僕以外の誰にも見せたくない、勝手だけれど、そう思う。
君がこんな風に笑ってくれるのは僕だけだと、少しはそう自惚れてもいいのかな。
君が僕の胸に額をつける。
「ありがとう、ジョー。……私だけの居場所を作ってくれて」
「…フランソワーズ?」
「ここだけは、私の場所。そう思っていても、いい?」
「……じゃあ、ここは僕だけの場所。……そう思っていてもいい?」
君がまた笑っているのが分かる。
「今日、ここであなたと会えて、よかった」
僕が君を笑わせてる……僕は君に幸せな気持ちを分けてあげられてる?
君が僕をこんなに幸せな気持ちにさせてくれてるのに。
そんなことを考えながら、僕らはしばらくそのままでいた。
僕は空を見上げ、君は地を見つめて、お互いのぬくもりを感じあっていた。
どれだけ、そうしていただろう?
僕の腕時計が小さな電子音を鳴らした。
君がぱっと顔をあげる。
「もうこんな時間!帰らなきゃ。きっとみんな待ってるわ」
君はするりと僕の腕の中から抜け出していった。
僕の鼻先を、いい香りのする亜麻色の髪がかすめていく。
そして、彼女が僕の返事を待つように振り返った。
「……そうだね」
僕は苦く笑った。
ホントはもっと君と二人でいたいんだけど……。
今日は帰ろう、僕らを待つ人の所へ。
でも。
ここであったことは、内緒にしておこう。
君のその笑顔も一緒に遊んだブランコも、ささやかな、僕らだけの秘密。

 

The End

 


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