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12

*
彼が気づいたとき、そこに彼女の姿はなかった。

僕は今…何をしている?……身体も動かないようだ。
闇の中から意識がゆっくりと浮上し始める中でジョーはそう感じた。
手足の感覚はまだ戻ってきていなかった。
頭の中に靄がかかっているようだった。
それでも今の状態がよくないことだけは、はっきりとわかる。
自分たちは何かをしくじったのだ。そう意識していた。
頭を一つ振って、かすむ目でまわりを見渡した。
足を柱型のポットに埋め込まれ両手は磔の形で手首で台座にくくりつけられていた。
001と005、008を除く仲間達は自分と同じ姿で戒められているようだ。
あたりは真の闇。視力の強化された彼らですら、お互いのシルエットを感じられる程度でしかなかった。
しかも目の前には壁が迫っている。
「う……みんな、大丈夫か?」
普通に呼びかけたつもりが、かすれた声が唇から漏れただけだった。
最後に食らった電撃のおかげで、まだ意識が混濁していた。
「ああ、きいたぜ、あの電気ウナギ野郎。まあ、簡単につかまっちまったな。情けねえ」
「まったくだ、ここがどこだかもわかりゃしねえ」
「油断したな」
悔しそうに口々につぶやく仲間達に、ほっと息をついた。
みんな無事のようだ。
「フランソワーズ」
ふらつく頭で呼んだとき、初めて彼女の姿のないことに気がついた。
「フランソワーズ…?」
「……いない。奴等に連れて行かれたのか?!」
「どういうことだ?」
「奴等こそ、オレ達の性能をよく知っている。一番力の弱い彼女を人質にとったってところか?」
「我々も捕まってるアル。人質、必要ないアル」
「わからないぜ?オレ達に何かさせたかったら人質を取って強要する事だって可能だろ」
「……博士の居所……か?」
誰かの声にみんな納得した。
奴等がまた博士の頭脳を欲しがっていることは分かっている。
だからこそ、守るために戦っていたというのに、その自分たちが博士を窮地に陥れているのだ。
「くそっ!博士は無事なのか」
「大丈夫だろう、005と008がついてる。001だって起きてりゃ最強だ」
一様に息をつく。別行動の仲間達に頼むしかない。

その時だった。
目の前に迫っていた壁が低い音をたてて、左右にゆっくりと開いた。
光があふれていた。強い光を浴びて、闇に慣れた視力が一時的に低下する。
「ようこそ、諸君」
低い声が響く。
「我が要塞に」
静かだが、威圧感がある。
「お前たちはもはや手も足も出ない。観念するのだな」
ようやく視力が戻ってくる。
自分たちがサーチライトのようなもので照らされているのだとやっと分かった。
そこは小ぶりの白い部屋だった。
シンプルだが品のいい家具がさりげなく置かれ、ここがNBGの基地だということを感じさせない。
ただ一つ、普通の部屋でないのは………。


「あっ」
透明な壁越しに仲間がいた。
全員、体を戒められて悲痛な目でこちらを見ていた。
仲間が入ったガラスケースのようだ。それほど仲間たちの鼻先に透明な素材でできた壁がある。
「そうだ。おまえの仲間たちだよ。おまえと引き離してあるだけだ。危害は加えていない」
後ろから男の声がした。
彼女はその透明な壁に駆けよる。
「みんな!大丈夫!?」
『キミこそ、無事でよかった』
彼の安堵した声が聞こえた。壁越しに彼に寄り添う彼女。
声すらも聞こえるのに銃も取り上げられた彼女の力ではどうすることもできない。
自分の非力さに腹が立った。それでも、仲間が全員無事であったことに、やっと安心することができた。
「安心するのはまだ早いと思うがね」
そんな気持ちを察したのか、彼女の背後に立つ長い黒髪の男がからかうように言う。
『おまえは!?』
『オレたちをどうする気だ?殺すつもりだったんだろう?』
「そう、おまえたちを根だやしにしなくては意味が無いのでね。全員まとめてあの世に送ってやる」
男はにっと笑う。
「まだ足りないだろう?あと3人とギルモアが……。つかまえた端から順番に殺してやろうかとも考えたが、それではつまらないだろう。これまで無能な総帥たちが煮え湯を飲まされてきたようだ。無能者に義理立てするわけではないが、それなりの礼をしなくては」
ぞっとするほど美しい笑顔だった。凛々しい彼とは違ったタイプの美形だ。
さらさらと流れる黒髪に縁取られて、一種異様な迫力を持っていた。
『どうする…つもりだ…?』
ジョーが、吐き出すようにその男に問う。
彼等はみんなポットに埋めこまれ、はりつけにされた状態なのだ。
自由に動けるのは隔離された彼女、フランソワーズだけだった。
その彼女も、今は壁に張り付いて仲間たちを心配そうに見つめていた。
同時になぜ自分だけがここに置かれているのか、疑問にも思っていた。
たしかに仲間の中では一番人間に近く、力も弱い。
もともと戦闘を専門にするようには造られていないのだ。だからこそ御しやすいと考えてからのことだろうか。
「まずはおまえたちに残りの仲間の居所を吐いてもらうまでだ」
すらりとしたその男は相変わらずの不敵な笑みを浮かべて、彼をまっすぐに見ていた。
「……009、私は特におまえが嫌いだ。お前を苦しめるためにはなんでもするつもりだ。どんな下劣な手でも使う。絶望を味あわせてからゆっくり殺してやろう。一番惨たらしく」
男は彼女の背後にそっと近寄る。彼女も妙な気配に気付いて仲間たちを背にし、男に向かい合った。
男の方が一瞬早く、彼女の上げかけた右腕をつかんだ。
「っ!離してっ」
彼女がなんとかその手を振りほどこうともがくが、男はびくともしない。
それどころか、さらにつかんだ手に力がこもった。
彼女の狼狽を、目を細めて楽しんでいるかのようだ。
「ほう……」
検分するように男が男が彼女の姿を眺める。
「美しい、いい女だな。おまえにはもったいないくらいの」
男は、彼女の背後の彼を見ていた。
『…やめろ…っ』
彼がしぼり出すように低い声でいった。
『どうするつもりだ』
仲間たちも男の意志を感じ取ってかすれる声でつぶやいた。こんなことは今までなかった。
彼女は仲間で戦士で……。
「どうして欲しい?」
今度は彼女に向けられた言葉だ。
その男の強い力で、勢いよく透明の壁に押し付けられる。
「あっ」
一瞬息がつまる。その隙を男は逃さなかった。両手を彼女の頭上でつかまれ、男の体で壁に追いつめられた。身動きがとれない。
「っ!」
彼女は声一つ上げずになんとか逃れようと体を動かすが、それすらも男は楽しんでいるようだった。つかまれた手首が痛い。こんなにも強い力がどこにあるのかと思うくらいだ。
「どうする?おまえの抵抗など、私には関係がない。動けないだろう?」
耳元で男の声がした。触れた息と声で彼女の体がびくりと震える。
『フランソワーズから手を離せっ!』
仲間の声が彼女の耳に届く。これ以上心配かけられない。
そう考えて、渾身の力をふりしぼったが、やはり男にはなんの影響も与えられなかった。
彼女の両手を、男は一つにまとめて片手で同じように抑え直す。そのときにかすかに起こした彼女の抵抗も空しいものだ。
「離して」
彼女は静かな声でそれだけ言った。
「そう言われて離すとでも…?だがその強い瞳は美しいな。私の好みだ。その毅然とした態度もな」
男はあいた片手で彼女の髪を弄ぶ。ゆるくウェーブのある亜麻色の長い髪。
そして、彼女の瞳を覗き込んだ。
「こんなことのために、私をここに置いているの?」
「そうだ。おまえは今から私のものになる」
「冗談じゃないわ!」
「無論、冗談を言っているつもりはない。この状況がわからないほど愚かではあるまい」
両手を括った男の手に力がこもる。
「っ!」
手のしびれる痛みに眉を寄せた。
「非力だな。それでも私たちを相手にしているサイボーグなのか?私一人の力にもかなわないお前など、あいつらの足手まといにしかなるまい」
彼女の表情が強ばった。
「畜生っ!あの野郎っ!」
彼等の位置からでは、彼女を追い詰めた男と彼女の背が見えるだけで、彼女の表情までは伺い知ることはできない。彼女が動揺しているのだけは確かだ。……こんなことは今までなかった。
これ以上、男が彼女に手を出さないことを祈るしかない。
「フランソワーズ…!」
ジョーは強い目で男を見据えていた。
男もその目を不敵の笑みで見返していた。
男の手が彼女の髪からスカーフへと移る。
しゅるっと音をたてて彼女の首からスカーフがすべり落ちた。
遠目にも彼女の背中が強ばっていくことが感じられる。
平静をつとめているものの、彼女の緊張が高まっているのはわかっていた。
「触るんじゃねえっ!」
「フランソワーズ!」


「ふふふ、あの男が私の目を睨み返しているぞ。やはりお前が一番の弱点だったか」
「いい加減にしてっ!」
髪をいじっていた指が彼女の喉にかかった。
指をかけてスカーフをゆるめる。そのまま一気に解き放った。しゅるる…と音をたててスカーフが滑り落ちていく。彼女は息を飲んだ。
男が本気であることがはっきりすると、今度は途端に恐怖を感じ始めた。
「……私が怖いか……?私のことはゼルと呼べ。新しくこの組織を統べる者だ」
耳元でそう囁いて、そっとあごを押さえて少し上向かせると、彼女の唇に自分の唇を重ねた。
「んんっ!」
冷たい唇だった。彼女をなぶるように、しつこいまでの口づけ。
不意に彼女を押さえていたゼルの力が弱まった。
彼女はその隙をついてゼルの体を渾身の力で突き飛ばすと壁から離れた。
不覚にも涙が一粒こぼれ落ちた。慌ててそれを拭う。
ゼルはまだ彼を見下していた。彼女は道具でしかないのだ。彼を苦しめるための。
(とにかくここから出なくちゃ…動けないみんなの分も私が動かなくちゃ…)
彼女は自分を落ち着かせるように、それだけを考えた。
『フランソワーズ!その…大丈夫か?』
遠慮がちな仲間のいたわりに、小さく頷いた。
じりじりとたった一つしかない扉のほうへと近寄る。
ゼルが笑みを浮かべてそんな彼女を見て、ゆっくりと手を差し伸べた。
彼女は腰を落としていつでも戦えるように身構えていた。
(でも………)
次の瞬間、ゼルは背後から彼女を捕えていた。
(やっぱりっ……加速装置……っ)
彼女の目が捕えたゼルの姿は、自分たちと同じサイボーグだった。それも彼と近いタイプの。
後ろ手にねじられ、ウエストの辺りをつかまれたまま、動けないでいる。
『くそっ!サイボーグか!』
『やめろ…っ!』
口々に叫ぶ彼等を満足気に見やってから、彼女をふわりと抱き上げた。
「いやっ!」
彼女が身をよじってもがくと、ゼルはにやりと笑って仲間たちに見せつけるよう顔を近づけた。
「さわらないでっ!」
地に足がついていない体制での抵抗はゼルにとってなんの脅威にもならなかった。
むしろ、さもおかしそうに彼女の頭を固定して唇を奪う。
今度はゆっくりと彼に見せつけるように。
「んんっ!あっ!」
一瞬唇を離すことに成功した彼女に、またゼルが仕掛ける。
彼女の両手をわざと自由にしてからまた奪っていく。まるで彼女の抵抗は利いていない。
まるで大人と子供のようだった。それが彼等にはよく分かって余計に悲しい。
『やめろっ!さわるなっ!』
「どうして欲しい?009……」
ゼルが挑発的に、彼を見つめた。
『フランソワーズに触れるなっ!下に降ろせ!』
「いいだろう」
身動きできないように抱いていた彼女を、その場に放り投げる。
「っ!」
とっさに受け身をとったものの、床にたたきつけられた衝撃ですぐには身を起こせない。
まるで人形の様な自分が悔しかった。
「涙も見せず、悲鳴一つあげない。ますます気に入ったな」
起きあがろうとする彼女の、しびれた腕が床に押し付けられる。
「…や…っ」
床に倒れた彼女に覆いかぶさるように、ゼルが体を滑り込ませた。
『なにをする!』
「見て分からないのか?……この女を抱く」
『ばっ!馬鹿やろうっ!はなしやがれっ!』
仲間の言葉にゼルは笑うと、スカーフのない戦闘服の襟元に指をかけた。
そう簡単に破れないはずの服が、いとも簡単に破かれる。白い肌がかいま見えた。
「い……いやっ」
ゼルの手を止めようと彼女がその手首をつかむが、まったく意味をなさなかった。
逃れようともがく彼女の足からブーツを引き抜く。
唇を求める。なおも逃れようとする彼女の頬にゼルの手が出た。
ぱしっ鋭い音が彼女の頬でした。
「女を殴るシュミはないが、おまえは特別だ。悪く思うな」


「くそっ!なんでここからでられねーんだっ!」
「フランソワーズがあんな目にあっているというのにっ!」
「女の子を殴るなんて許せねえっ!」
「フランソワーズにさわるなっ!それ以上手を出したら許さないっ」
ジョーの鋭い声が、ゼルに向かって飛んだ。
『許さない?おまえ自身、そこから動けないのに、どうやってフランソワーズを助けるつもりだ?』
「許さないと言ったら許さないっ!手をひけっ!」
彼がそう叫んでいるうちにも、彼女の肌があらわになっていく。
彼女の抗う小さな声が、彼等の心を苛めた。
白く細い肩がゼルの目にさらされる。
「フランソワーズ!あきらめないで!すぐ…っ!すぐ行くから」
『フランソワーズはあきらめてなんかいない。私の力にかなわないだけだよ。さっきからうるさいくらいに抵抗している。声を出さないから分からないだけだろう?』
首すじに唇を這わせる。それでも目だけはじっと彼から離さない。
彼女の首に、胸元に、ゼルの唇が赤い印をつけた。
『……っ!』
『気丈だな。体はこんなに震えているのに、声一つあげない。仲間に心配をかけたくないとでもいうのか?』
『……そうよっ!あなたなんかに負けたりしないっ!』
ゼルはにやりと笑った。もう一度彼女の唇を奪う。
そうして 彼女の手のひらに自分の手のひらを絡める。
『!』
その足に、ゼルの手がかかる。
『……いやっ!』
「フ、フランソワーズ!!」
その服の裾から手が忍び込み、その素肌を感じる。
『っっ!』
彼女が耐えるように目を固く閉じた。
ゼルは明らかに、彼の反応を楽しんでいた。
彼の愕然とした表情に満足そうに笑っている。
ようやくその手を離す。とそれと同時に彼女の体からも離れた。
『お前のその気丈な態度に免じて、今の所はこの辺にしておこう。時間はたっぷりある。009もギルモアたちの居所をはきたくなってくるころだろう?お前を苦しめたくないと思っていればな』
ゼルの彼女に向けられた言葉に、彼がきゅっと唇をかんだ。
彼女はすぐに身を起こし、半ばあらわにされてしまった体を隠していた。
『……また後でな。フランソワーズ』
ゼルはさも楽しそうに笑うと、ゆっくりとその部屋から出ていった。
その後、電子ロックをかける音がする。

誰も彼女に声をかけられなかった。
仲間たちに背を向けて、時折肩が震えるのはきっと泣いているからだろう。
『…お願い……私のこと、見ないで…』
消え入るような声が聞こえた。
彼等は一様に俯いた。
『…ごめんなさい……私が油断したばっかりに…みんなにまで…』
「ばか!なに言ってんだ!悪いのはオレたちの方だ!」
「そうだよ。君は悪くなんてない」
『……こんなの……いや……』
言葉の最後のほうは小さな嗚咽にまじって聞こえない。
「大丈夫……これ以上君に触れさせやしない」
「んなこと言ったってジョー!どうするんだ!オレたちがここから抜けなくちゃ…っ」
「フランソワーズ、こっちへ来て」
彼女は無残に裂かれた襟元を直し、少しだけ髪も整えた。
ゆっくりと彼らのそばへと近寄ってきた。
間近で彼女を見ると、もっと気持ちが重くなる。
涙に濡れた瞳、赤くなった頬、破られた服、白い首筋や胸元につけられたゼルが残した赤い跡。
手首にまでくっきりとゼルの手の跡が残っていた。
手の甲で奪われた唇を押さえて自分の体を抱きしめていた。
彼の前の壁に額をあてて、静かに涙を流す。
「大丈夫。君は一人じゃない。僕や仲間がいる。必ず、必ず救い出すからあきらめないで。僕たちのことはいいから、君は君自身を守って」
『……ダメ…だったの。私がいくら抵抗しても、ゼルにはまったく通用しなかった。どうすることもできなかった。だからって、あんなふうに好きにされるのはいや。みんなの目の前で……』
誰も何も言えなかった。自分もどうすることもできなかった。ただ見ていることしか……。
「大丈夫だ。フランソワーズなら」
「そうアル」
それでも、と控えめに声を掛ける仲間達に、彼女は精一杯笑って見せた。
『ごめんなさい……』
「謝ることなんて、ねえよ。謝らなきゃいけないのはこっちだ」
「俺たちも、信じている。フランソワーズ。大丈夫だ」
『…ええ…そうよ。大丈夫。ゼルになんか、負けない……でも今だけ……少しだけ』
そうい言ったまま、小さな嗚咽をもらす。
みんな黙ってその声をきいていた。
そうすることしかできなかった。
彼は、こんなに近くにいるのに抱きしめられない歯がゆさに、唇をかんでいた。
こんな風に彼女を泣かせてしまうなんて、自分のことが許せなかった。
必ず守ると心に決めていたのに。



**
「さあ、どうする?009。結論は出たか?」
『………』
何の気配も感じられないうちに、ドアが開く。
突然現れたゼルの声に彼女は身を堅くした。振り返ってゼルを見る。
ジョーは強くゼルを睨みつけた。フランソワーズをこのままにはできない。
だが……みすみす仲間たちの居所を教えることもできないのだ。
イワンの時間はどうだったか?他の仲間たちのスケジュールを頭の中で、素早く確認する。
彼女は壁に手をついたまま、動かなかない。この真四角の部屋では逃げ場などどこにもなかった。
あの後、すぐに現れた無言の女たちに、彼女はその破かれた服からゼルの用意したドレスに着替えさせられ、化粧を施されていた。
彼女に、着替えを拒否することは許されなかった。
「そのドレス…」
それは瞳を濃くしたような青いドレスで、彼女の白い肌によく映えている。
「よく似合っているな。おいで。フランソワーズ」
ゼルの差し出す手には応じず、二歩、三歩後ろに下がる。
「私の手を取れ。フランソワーズ」
背後の壁にまで追い詰められた。
「聞き分けのない女だ」
ゼルがつかつかと歩み寄ると、彼女の腕をとった。
彼女はそれを振り払いざまに、ゼルの白い頬をひっぱたいた。
小気味のいい音が部屋に響く。
その行動がゼルを挑発していることは分かり切っているが、黙っていうことを聞いているのは耐えられなかった。
「ふん、なかなかやるな。さすがは003と言っておこうか」
にやりと笑みを浮かべたゼルの姿が、一瞬目の前から消える。
その姿を捉えた時には、もうゼルの腕の中だった。
「離してっ」
「目も頬も腫れている。こちらに来い」
「いやっ!」
ゼルは挑発するように、隣に置いた赤ワインを口に含むと、暴れる彼女に口移しで飲ませた。
彩られた唇のはしから赤いワインが伝う。
何とも言えない色香が漂っていた。
彼女はこんな風だっただろうか?誰もが思う。
いつもそばにいた。自分たちと同じように戦い、自分たちと同じように動いてきた。
確かに綺麗な女性だとは、思っていた。だけど、今の彼女は………。
「そのように嫌がらなくてもいい。そのまま意識を手放してしまえ」
ゼルの腕の中で、ふいに彼女の体が傾いた。なにかの薬のせいか、眠らされたようだった。
『何を飲ませた!』
「何でもいいだろう?安心していい。命に関わるようなものではない。私はフランソワーズがずいぶんと気に入ったのだからな」
そのままゼルはソファに深く腰掛けた。
彼女の小さな頭を自分の膝に乗せて、ソファに横たえる。
彼女の白く細い手が、ゼルに弄ばれている。
視線はしっかりと彼に定めていた。
てのひらに、手の甲に、指先に口づけする。
その間、ずっと彼から目を離さない。
それが彼を苛立たせる。自分のせいで。自分に対するいやがらせのためだけに大切な彼女を傷つけ、襲おうとしている。決して彼女を愛しての行為ではない。
髪を指に絡め、その頬に触れていた。決して彼女を見ることはない。
長いまつげが彼女の頬に、淡い影を落とす。
ようやくジョーから視線をはずすと、ゼルは身を屈めてその足首に銀色の豪奢な環をあてた。
環には、それと同じように優美な鎖がついていて、その先は床につながれていた。
かちゃりと小さな音がして、彼女の足をつなぎとめる。
体はソファに預けたままだ。
「美しいだろう?私の女だ。お前たちになど、触れさせはしない」
『離せ!』
「ふふふ、悔しいか?この女が私のものになっていくのが」
『フランソワーズから離れろ』
彼が鋭い声でゼルに叫ぶ。何も言わずにはいられなかった。
「おまえに指図されるいわれはない。すぐに殺さないだけ感謝してもらいたいものだ。……思いのほかいい女だな。もっと泣かせてやろうと思っていたが、泣きごとも言わず、毅然としている。このまま自分の運命だと思って受け入れていくつもりか?私のことも……」
長いまつげにふちどられたまぶたがかすかに動く。
ゆっくりとその目が開けられた。
「もう、気が付いたようだ。これからはもう少し調合を考えなければいけないな。気分は?」
しばらくぼんやりとしていた彼女がゼルを認識して目を見開いた。
身を起こそうとして、そのまま崩れる。
「っっつ」
「頭が痛いだろう?力も入らないはずだ。ムリはするな」
ゼルはそう言って、彼女の顔をのぞき込んだ。
「効果はあるようだな。大したものではないよ。あまり暴れられても面倒だからな。少しおとなしくさせる薬だ」
「…さわらない…でっ!」
ゼルの手を弱々しく振り払う。小さな声でそれだけ言うのが精一杯だ。
「強気なことだ。お前は私の腕から逃げられはしないというのに」
その細い体を起こさせると、力一杯彼女を抱きしめる。
「……ああ……っ」
苦しげに声をあげる彼女を満足そうに覗き込んだ。
「わたしに身を任せるがいい……こんな苦しい思いはさせない。まだ、あいつも触れていないんだろう?お前に。……どうするかな。あいつは。大切なおまえを私に奪われて、それを目のあたりにして……。……どうするかな」
「…やっ…っっ」
息もできないほど抱きすくめられる。不安と恐れが彼女の心を占めていた。
「私が怖いのか?こんなにふるえて…心配することはない。おとなしくさえしていればこわい思いなどさせはしない。私のフランソワーズ」
からかうような口調でそう告げる。
彼女は悔しさに涙がこぼれそうになる。
こんな人形のような扱いは……。
「僕が憎いというのなら僕を好きにすればいい。フランソワーズは関係ない」
「関係ない?そんな訳ないだろう?この娘もおまえたちの仲間だ。どんな扱いをしようが私の勝手。私の捕虜だからな。降伏すれば許すほど、私は甘くないよ。組織の者が無能とはいえ、今までさんざん煮え湯を飲まされてきたのだ。だからお前たちから取れるだけ情報をしぼり取ってから惨たらしく殺す」
ゼルがニヤリとわらった。
「ただ、情報を寄越せといったところで、死ぬ覚悟のおまえたちは聞きはしないだろう?どんなことをしたとしても、容易に話さないだろうことは予想が付く。だからこの娘を手に入れた。いくらお前たちが死ぬつもりでも、目の前で仲間が痛めつけられる姿を見るのは気に入らないだろう?それも……大切な娘が」
「下品だな……そんなことしか思いつかないようじゃ、アンタもたかがしれてるぜ」
「下品で結構。お前たちの前で仲間をじわじわといたぶり殺すよりも大きな効果があると踏んでいるのでね。実際、そうだろう?サイボーグであるおまえたちの体を痛めて付けたとしても、ギルモアさえいれば再生も可能だ。だが……心は違う。それがいつもお前たちの言っていたことだろう?」
ゼルの目が妖しく輝いていた。
彼女はゼルを睨みつけた。ゼルは薄笑いを浮かべて彼女を見、それから彼を見た。
自分がゼルに隔離されていなければ仲間たちが脱出するのがかなり楽になるはずなのに………自分のせいでここに留まっているのかもしれない。彼女は自分自身が情けなかった。
仲間なのに、いつも取引の材料にされてしまう自分が。
自分の身ひとつ、自分で守りきれなかった自分が。
「フランソワーズ!ボクらのことはいい!君自身を守って…うっっっ!」
彼がそう叫んだとき彼等を縛りつけていた柱に高圧電流が流れた。
「うわぁっ」
「くっっうっっ」
仲間たちが短く声を上げた。彼女が涙を浮かべた目をゼルに向ける。
「お願い!やめて!」
その言葉を飲み込むように、ゼルがもう一度口づけた。
「んんっ!」
逃れることなどできなかった。
「……私を受け入れろ」
ゼルはそう短く言うと唇を奪い続ける。
「!」
眉をしかめてその感触に耐えた。それと同時に体の力を一切抜いてしまう。
「いい子だ」
ゼルに身を預けた彼女はただその胸に抱かれていた。ゼルの合図とともに彼等の電流もおさまる。
みんな息を弾ませていた。
彼女の様子が変わったことに気付いているのは唯一人、彼だけだ。
「……フランソワーズ…」
衝撃で朦朧となった彼が彼女の名を呼んでいた。
ゼルはそれを横目に見ると、彼女を胸にもたれさせたまま両手を離す。
彼女はおとなしくゼルに従っていた。
(気の強い娘だ。もっと鳴かせてアイツを苦しめようかと思っていたのだが)
腕の中の彼女を違った気持ちで見つめる。ただの道具のつもりだったが以外に新鮮だった。
思っていた以上に、自分を楽しませてくれるようだ。
「や…やめろ…ゼル…」
「言う気に、なったのか?」
「フランソワーズを離してくれ。彼女に触れないと…」
「ジョー!」
ゼルは彼のところまで彼女を抱き上げて連れて行くと、抱きしめたまま質問を続けた。
彼女は抵抗しようと体をよじったが仲間の様子を見て、力を抜く。
みな、苦痛に朦朧としているようだ。これ以上の危害は加えられたくない。
「……どこだ?」
そういうゼルの手は彼女のウエストのあたりから、服の中に忍び込んでいた。
後ろ手に縛られたままの彼女は彼から目をそらしてじっと耐えていた。
悔しさと羞恥で頬が染まる。まっすぐに彼が見られない。キュっと唇をかんだ。
「まず、フランソワーズから汚い手を離せ」
「そんな口がきけるのか?」
彼女をその場につき倒す。
「っ!」
彼女はそれまで決して声を上げなかった。
きつく唇を結んだまま、肩を使って身を起こそうとしたところへ、ゼルがおおいかぶさった。
「きゃああっ」
思わず悲鳴が口をついてでてしまう。
「フランソワーズ!」
後ろでひねられた手も枷をはめられた足も痛んだ。肩をつかまれてそのまま床に押し付けられる。
「んんっ!」
「やめろっ!フランソワーズにさわるなっ!」
(いや……いやっ!)
彼女の悲痛な叫びが脳波通信で伝わってくる。
「……言え」
彼女を押さえつけたまま、ゼルは彼を見た。
「わかった。わかったから……。フランソワーズを離してくれ。……すまない。みんな」
「馬鹿野郎!フランソワーズのあんな姿を見せられることのほうが辛い」
ゼルは挑発するように、彼女の胸もとに手を滑らせた。
「だめ……私は…大丈夫だから……。だから……せめて、見ないで……」
涙が頬を伝って床の上にひろがった亜麻色の髪に落ちる。
彼は小さく頭を振った。そんなこと、できるはずない。
博士はほかの仲間と一緒だ。イワンが起きてさえいればこの事態を察知できるだろう。
「日本だ。日本の神奈川県……岬にある……研究所」
「すぐ調査しろ」
詳しい住所を聞き出したゼルが、その調査を部下に命じると彼女から離れる。
すばやく起きあがって仲間に背中を向けた彼女の肌が白く輝いていた。
震える華奢な肩。細い背中。のけぞるような白いのど。頬を伝った一筋の涙。
すべてが彼を責めていた。
どうして守ることができないのかと自分を責める。
絶対に彼女だけは守ってみせると誓っていたのに。
あんなに苦しんでいるのに。彼女は嫌がっているのに。
サイボーグだからってあんな風に扱われていいはずがない。
女の子なのだ。とても優しい、綺麗な女の子なのだ。
腕力によってどうにかしようというのは、人間として間違っている。
だが……。そんなことが通用する相手ではないようだった。
ただ自分が愛している女性だということで、あんな目にあわせるのは嫌だ。
大切に大切にしてきた彼女をこんなふうに奪われるのは嫌だ!
だから、これ以上のことをさせてはいけない!彼女のために!
僕のために。
ゼルの唇に彼女の紅がうつっていた。
勝ち誇ったように手の甲でそれを拭うと、彼女の顎をつかんで自分のほうに向ける。
「離して」
きっと彼女はゼルを睨み付けた。
「その目だ。その強い光が……気に入った」
「……みんなを…自由にして。せめてあそこから出して」
「自分のことより仲間の心配か?なぜ?」
「大切な仲間……あんな無理な姿でいるのは…いや」
「最終的に殺すのに?今、自由にしたらまんまと逃げられるかもしれない」
「…………」
「おまえをおいて、逃げるかもしれない」
「それでもいいわ」
「ふん……いい覚悟だ」
彼女は視線を外す。
「違う」
「それでも仲間は助けたい……か。仲間思いだな」
ゼルは彼女を見つめた。
「………その命乞いの見返りにおまえは何をしてくれるというのだ。まさか、要求だけ突きつけておいて自分は何もしない訳ではなかろう?」
フランソワーズは、はっとゼルを見つめ返した。
ゼルは少し目を細めて、唇の端を上げた。
「そうだな。奴らにはもう手がかりは吐かせた。お前がここにとどまって私のものになると約束するのなら、とりあえずあのポットからは出してやろう。その先は奴らの運と努力次第だ。途中で殺されるようなことがあっても責任はもたない。……チャンスを与えるのだからな」
ゼルがガラス越しに彼を見た。明らかに彼に対しての挑発だった。
彼が彼女を置いていけるはずなど、ないのだから。
「…………」
「それでも、お前は仲間を助けるために私の要求を飲むのか?これでもずいぶん破格の扱いだと思うのだが」
彼女は、一度目を閉じて小さく息を吸う。
そうして、 かすかに頷いた。

「馬鹿な!なんでそこまで……っ!俺たちの事なんかいいんだ!」
ジェットが叫んでいた。
「よせよ」
グレートがたしなめる。
彼はうつむいていた。
自分たちを助けようとする彼女に悲しい決断をさせたことが重くのしかかる。
「フランソワーズだって苦しいんだ。……彼女を責めるのは間違っている」
ハインリヒの言葉は暗に彼に向けられたものだと、誰もが分かっていた。
「でも、どうしたらいいアル。このままじゃフランソワーズ、あいつの花嫁」
「……彼女の作ってくれたチャンスを無駄にはしない。脱出の際にフランソワーズを救い出す。必ず間に合わせる」
彼の絞り出すような声に、全員が頷いた。

「わかった。私に抵抗することくらいは認めてやろう?おまえのその強い瞳が見られなくなるのは残念だからな」
「……」
「もうお前にはここから出る自由は与えられない。私以外のものを見ることも許さない。私が飽きるまでお前をそばにとどめ置く」
ゼルは畳み掛けるように彼女に言った。
彼女は視線をそらしたまま、それを聞いていた。
「その証として、お前から私にくちづけを……。それが契約だ。契約が交された時点であいつらをあそこから出そう。そのかわり、お前はもうあいつには会えない」
そう言ってゼルはソファに深く腰掛け直す。
そして、その隣に彼女を招いた。視線は彼からはずさない。
彼女は体を強ばらせながらも立ち上がった。
背筋を伸ばし軽くスカートをつまんで歩く彼女の姿は優雅だった。
ゼルが立ち上がってその手を取ると隣に座らせると、 彼女の手の甲にそっとくちづけしてから、ふわりとその両肩を抱いた。
しばらくそのままでいたが、ゼルはそっと彼女を離し、頬をなでて見つめる。
まるで結婚の儀式だ。
誓いのくちづけをかわそうとする二人のように、厳粛な空気が流れているようだった。
彼女にとって、それは意にそまぬ結婚そのものだろうが。
彼女が意を決したようにゼルを見ると、体を伸ばして自分の頭より高い位置にあるゼルのくちびるに自分のくちびるをそっと重ね合せた。
すぐに離そうとする彼女を、ゼルが押えて離さない。
重ねたくちびるを少しだけ離してゼルが言った。
「私をあの男だと思えばいい。今だけ、それを許す。あいつとするように私にくちづけを」

その様子を見た彼は少なからずショックを受けていた。
(今のは、フランソワーズの意思じゃない……。ゼルがそう仕向けたんだ)
いくらそう思おうとしても心の中にしこりが残る。
今までのように無理やり彼女を押え付けて奪うやり方ではないから、余計に心にかかるのだろうか?
彼女の方がもっと辛いのだと分かっているのに。
彼女の体がゼルに寄せられるのも、彼女の手がゼルの胸におかれるのも、彼女のくちびるがゼルのくちびるに押し付けられるのも、全部ゼルのせいなのに。
あんなに嫌がっているのに。彼といるときのような優しい表情なんかではない。
苦痛を感じてすらいるのに。
醜い嫉妬だと分かっている。
彼女があいつに触れる姿なんか見たくないと思った。
でも。
あれは彼女の戦いなのだ。自分がしっかりと見つめなければならない。
ゼルは、この場面を彼に見せるためにしているであろう事なのだから。
(ちがう。フランソワーズが悪いんじゃない。僕が悪いんだ。僕がこんな所でこんな風に捕えられているから、だからフランソワーズはあんな要求を………)
彼はただ、うなだれるしかなかった。
ひとしきりくちづけを楽しむと、ゼルは彼女の体を抱きしめた。
しっかりとその柔らかな体を抱き、さも愛おしそうに彼女の亜麻色の髪を撫でる。
そして、 ちらりと視線を彼の方に寄越した。
勝ち誇ったような笑みをむける。
「契約は交された。これでお前は私のもの。お前の仲間にはここを出るチャンスを与える。わかっているな。お前の仲間が万が一、ここを脱出できたとしても、お前はここにいなければならない。きっとやつらはお前を迎えに来るだろう。それでもだ」
フランソワーズは、じっと目を閉じたまま、ゼルの声を聞いているようだった。
「……契約を破ったときは仲間の死であがなってもらう」
ぽろぽろと涙があふれた。
今までゼルの前でだけは、涙を見せたことなどなかったのに。
「あの男に会いたいのか?」
その涙を、そっと唇で拭う。
「早く忘れることだ。あいつのことは」
彼女は軽く頭を振った。決して仲間の方を見ようとはしない。
「…忘れることなんか、できるはず……ない」
ゼルは小さく笑った。
「これは契約成立の証だ」
深い青い宝石の付いた指輪を、フランソワーズの左手の薬指にはめる。
「これを見て、契約を忘れるな。外すことは許さない」
ゼルはそっと彼女を抱き上げて立ち上がった。
「今日の所は休むがいい。約束は守る」
それと同時に、彼らの前の重い扉が音を立てて閉まった。
「ゼル!」
彼の声が虚しく響く。
後に残ったのは真の暗闇だけだった。

 

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